箕面で語り継がれてきた民話のご紹介です。
小野原西にある小野原墓地に「泣き地蔵」と呼ばれるお地蔵さんがあるということで見に行きました。
「嘉永三年 俗名与兵衛」と刻まれたお地蔵さんのお話です。
江戸時代。西国街道沿いの小野原のはずれで与兵衛という飛脚が盗賊に襲われ、お金だけでなく命まで奪われてしまいました。まじめで慕われていた与兵衛の霊を慰めようと、村人たちはお地蔵さまをつくります。
ところが不思議なことに、何度彫り直しても、できあがったお地蔵さまの顔は泣き顔になります。「与兵衛はさぞかし無念であったのだろう」と、村人たちは泣き顔のままのお地蔵さまを村の墓地にまつりました。
小野原墓地は小野原西の開発のために移転されたそうで、このお地蔵さんも墓地とともに現在の場所へ移転されたようです。
移転前のお地蔵さんの場所は『箕面の民話(箕面市役所企画部広報広聴課・1974年)』の中の地図に記されています。
詳細な位置を『時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」』で調べてみました。
下のふたつの図は時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。
一つ目の図は、左側が「1993年~1997年」の地図、右側が「現在」の地図です。
左の地図で墓地の地図記号と思われる記号が記されている位置は、現在の「小野原西6丁目」交差点の南西・現在ドラッグストアや飲食店があるあたりです。(この地図のリンクはこちら⇒今昔マップ on the web)
二つ目の図は、左側は上の図と同じ「1993年~1997年」の地図、右側が「1984年~1987年」の航空写真です。
赤線で囲んだ範囲が墓地の地図記号が記されている範囲です。
航空写真を見てみると、地肌が見えて何かがたくさんあるのがわかります。これが墓石であれば移転前の墓地の位置は現在の「小野原西6丁目」交差点の南西・現在ドラッグストアや飲食店があるあたりとなります。
墓地とともに移転された「泣き地蔵」と呼ばれるお地蔵さんもこの付近にあったと推測します。(この地図のリンクはこちら⇒今昔マップon the web)
小野原西の開発が行われる前、小野原から山田方面へ行く道は覚えている限りでは竹藪が多くうっそうとした雰囲気でした。現在洋菓子屋さんとなっている付近に「木馬館」というディスカウントショップがあって、竹藪だったせいか夜だったせいか、周囲が薄暗くて大きな馬の絵の看板が少しこわかったのを覚えています。
参考文献:『箕面の民話』箕面市役所企画部広報公聴課/編集・1974年