箕面市東部にある神社

箕面の神社

春日神社(新家)

平安時代、この辺りの地域は藤原氏の氏神春日神社の社領であった。近隣の春日神社含めその頃に勧請されたものといわれている。木々の間から見える社殿が美しい。平成9年(1997)に新築再建されている。
箕面の神社

五字神社(ごじじんじゃ)

粟生間谷の五字神社とは読みが異なりこの神社は「ごじ」と読む。知恵の神を祀る。神社の由来は明らかではない。社殿は近隣の帝釈寺境内に鎮守の神として祀られていたが安永6年(1777)に現在地に遷宮。もしかすると護寺(ごじ)といった意味合いもあって「ごじ」と読むのかもしれない。三法荒神や愛宕権現を祀る。わざわざ愛宕権現と仏教側から記載していることからもやはり帝釈寺との関係が窺える。牛頭天王と刻まれた石碑もある。西隣の皿池公園に参道の石碑とその傍に燈籠か狛犬かがあった跡がある。
箕面の神社

春日神社(川合)

川合児童遊園内にある。平安時代この辺りの地域は藤原氏の氏神・春日神社の社領であった。近隣の春日神社含めその頃に勧請されたものといわれている。「あたごさん」「たかおかさん」と書かれた小さなお社がある。「たかおかさん」とは大字粟生間谷の旧字名「高岡」(現在の茨木市宿久庄)にあったと思われる黄檗おうばく宗徳大寺に祀られていた社らしいが詳細は不明。「あたごさん」もこの地から平成5年に開発のため当春日神社内に移された。当春日神社ももともとはこの地にあったといわれている。
箕面の神社

五字神社(ごあざじんじゃ)

粟生外院の五字ごじ神社とは読みが異なりこの神社は「ごあざ」と読む。知恵の神を祀る。山之口村の産土神うぶすながみのよう。社号碑に葵紋がある由縁は不明。玉垣には地域名よりさらに細かい単位の垣内の名前が彫られているのが珍しい。山之口垣内・白駒井はっくい垣内・垂井引成垣内・釜谷垣内・辻ヶ市垣内の五つ。6月~8月には境内の大木でアオバズク(フクロウの仲間)が子育てをする。野鳥・写真愛好家で賑わう。
箕面の神社

楠木神社(くすのきじんじゃ)

奥地域の産土神うぶすながみとして祀られている小さな神社。この辺りは伊勢参り(伊勢講)が盛んであったことが、素戔嗚尊神社や天満宮に伊勢神宮遥拝所が設けられていることからもうかがえる。境内の大木はクスノキかと思いきやムクノキ。なぜクスノキ神社なのかは不明。石灯篭に太神宮と刻まれている。
箕面の神社

春日神社御旅所・須賀神社

小野原春日神社のお祭りの際に神輿が立ち寄る御旅所。左右一対の神輿台がある。倒木の恐れがあったため境内の木は伐採され玉垣等は近年新しく建てられたものと思われる。境内の稲荷社には宇賀御魂神と猿田彦神が祀られている模様。猿田彦神が祀られているのは西国街道沿いであることが関係しているかもしれない
箕面の神社

春日神社(小野原)

今は春日神社という名前だが昔は榊の木が生い茂る榊輪さかきわ神社と呼ばれていたそう。神護景雲2年(768)創建との記録あり。境内に元宮として榊輪さかきわ神社が残る。旧小野原村の総鎮守。かなりたくさんの摂社末社がある。故・笹川良一氏の崇敬神社としても知られる。
箕面の神社

愛宕社(奥)

素戔嗚尊すさのおのみこと神社までの山道に佇む。縁起は不明。火防の神。箕面には村にひとつは愛宕社があった。愛宕信仰は修験道しゅげんどうが全国に広めたとされる。勝尾寺・龍安寺などの修験道との関わりや製炭業が盛んだったことに深い信仰があるかもしれない。
箕面の神社

素戔嗚尊神社(すさのおのみことじんじゃ)

粟生地域の鎮守総社。神社縁起によると鎌倉時代の文永8年(1271)の記録では天王社と号しており古くから粟生地域の総鎮守であった。年中行事の奉納相撲(毎年9月9日)は1世紀にわたって続いた神事であったそう。大正7年(1918)に近隣の神社がここへ合祀されたが昭和になり地域住民の希望により分祀・遷座された。自然に包まれた静かな神社で運が良ければキツツキのドラミングが聞こえることも。
箕面の神社

白姫大明神(しらひめだいみょうじん)(水神社)

神社由緒によると大正13年(1924)の大干ばつの際に雨乞いの祈祷をしたところお告げ通り雨が降ったのでご利益に感謝し元から祀っていた山腹の龍神を天理改現水神白姫大明神と改め山頂に移したとのこと。3分程度山道を歩く。
箕面の神社

天満宮

学問の神。近隣の五字ごあざ神社・五字ごじ神社も知恵の神なので昔からこのあたりは勉学に励むことを重視していたのかもしれない。由緒書きに菅原道真についての記載がある。箕面市の保護樹木ムクノキの大木あり。この辺りは伊勢講が盛んであったためか伊勢神宮遥拝所がある。
箕面の神社

爲那都比古神社(いなつひこじんじゃ)

神社由来碑によると2世紀ごろにあった「爲那国」を統治した爲那氏族の守護神を祀ったものであると伝承されている。明治40年(1907)明治政府による神社統合発布により旧萱野村10ケ村の産土神10社がここに合祀された為、旧萱野村の地域にはほとんど神社が残っていない。大量の狛犬はおそらく各々の神社にあったものではないかと推測する。現住所は石丸になっているが昔は白島の飛び地だった。
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