箕面市にある神社

箕面のお散歩

初夏の陽気で

所用で瀬川に行った帰り、暑くて歩き疲れて瀬川神社境内の木陰で...
箕面のお散歩

三王神社址

石丸2丁目、山麓線の南側の歩道からちらっと見える石碑。明治4...
箕面の神社

八幡神社(はちまんじんじゃ)

2つの祠があるこじんまりとした神社。向かって左の祠は「八幡さん」、向かって右の祠は「お多賀さん」と呼ばれている。八幡さんは男神・お多賀さんは女神とされているということで、お多賀さんは伊邪那美命いざなみのみことだけを祀っているのかもしれないが詳細は不明。昭和元年に近隣の天満宮も合祀されたという。2つの祠の間に桜の木がある。
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止々呂美神社(とどろみじんじゃ)

明治40年(1907)までは上止々呂美地区の氏神として素戔嗚尊神社とされていたが、下止々呂美の日枝神社を合祀したのちに止々呂美神社と改めた。狛犬が令和元年10月に新調された模様。社殿内部に歴史を感じる絵馬が奉納されている。
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春日神社(新家)

平安時代、この辺りの地域は藤原氏の氏神春日神社の社領であった。近隣の春日神社含めその頃に勧請されたものといわれている。木々の間から見える社殿が美しい。平成9年(1997)に新築再建されている。
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五字神社(ごじじんじゃ)

粟生間谷の五字神社とは読みが異なりこの神社は「ごじ」と読む。知恵の神を祀る。神社の由来は明らかではない。社殿は近隣の帝釈寺境内に鎮守の神として祀られていたが安永6年(1777)に現在地に遷宮。もしかすると護寺(ごじ)といった意味合いもあって「ごじ」と読むのかもしれない。三法荒神や愛宕権現を祀る。わざわざ愛宕権現と仏教側から記載していることからもやはり帝釈寺との関係が窺える。牛頭天王と刻まれた石碑もある。西隣の皿池公園に参道の石碑とその傍に燈籠か狛犬かがあった跡がある。
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春日神社(川合)

川合児童遊園内にある。平安時代この辺りの地域は藤原氏の氏神・春日神社の社領であった。近隣の春日神社含めその頃に勧請されたものといわれている。「あたごさん」「たかおかさん」と書かれた小さなお社がある。「たかおかさん」とは大字粟生間谷の旧字名「高岡」(現在の茨木市宿久庄)にあったと思われる黄檗おうばく宗徳大寺に祀られていた社らしいが詳細は不明。「あたごさん」もこの地から平成5年に開発のため当春日神社内に移された。当春日神社ももともとはこの地にあったといわれている。
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五字神社(ごあざじんじゃ)

粟生外院の五字ごじ神社とは読みが異なりこの神社は「ごあざ」と読む。知恵の神を祀る。山之口村の産土神うぶすながみのよう。社号碑に葵紋がある由縁は不明。玉垣には地域名よりさらに細かい単位の垣内の名前が彫られているのが珍しい。山之口垣内・白駒井はっくい垣内・垂井引成垣内・釜谷垣内・辻ヶ市垣内の五つ。6月~8月には境内の大木でアオバズク(フクロウの仲間)が子育てをする。野鳥・写真愛好家で賑わう。
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楠木神社(くすのきじんじゃ)

奥地域の産土神うぶすながみとして祀られている小さな神社。この辺りは伊勢参り(伊勢講)が盛んであったことが、素戔嗚尊神社や天満宮に伊勢神宮遥拝所が設けられていることからもうかがえる。境内の大木はクスノキかと思いきやムクノキ。なぜクスノキ神社なのかは不明。石灯篭に太神宮と刻まれている。
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春日神社御旅所・須賀神社

小野原春日神社のお祭りの際に神輿が立ち寄る御旅所。左右一対の神輿台がある。倒木の恐れがあったため境内の木は伐採され玉垣等は近年新しく建てられたものと思われる。境内の稲荷社には宇賀御魂神と猿田彦神が祀られている模様。猿田彦神が祀られているのは西国街道沿いであることが関係しているかもしれない
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春日神社(小野原)

今は春日神社という名前だが昔は榊の木が生い茂る榊輪さかきわ神社と呼ばれていたそう。神護景雲2年(768)創建との記録あり。境内に元宮として榊輪さかきわ神社が残る。旧小野原村の総鎮守。かなりたくさんの摂社末社がある。故・笹川良一氏の崇敬神社としても知られる。
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愛宕社(奥)

素戔嗚尊すさのおのみこと神社までの山道に佇む。縁起は不明。火防の神。箕面には村にひとつは愛宕社があった。愛宕信仰は修験道しゅげんどうが全国に広めたとされる。勝尾寺・龍安寺などの修験道との関わりや製炭業が盛んだったことに深い信仰があるかもしれない。
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素戔嗚尊神社(すさのおのみことじんじゃ)

粟生地域の鎮守総社。神社縁起によると鎌倉時代の文永8年(1271)の記録では天王社と号しており古くから粟生地域の総鎮守であった。年中行事の奉納相撲(毎年9月9日)は1世紀にわたって続いた神事であったそう。大正7年(1918)に近隣の神社がここへ合祀されたが昭和になり地域住民の希望により分祀・遷座された。自然に包まれた静かな神社で運が良ければキツツキのドラミングが聞こえることも。
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白姫大明神(しらひめだいみょうじん)(水神社)

神社由緒によると大正13年(1924)の大干ばつの際に雨乞いの祈祷をしたところお告げ通り雨が降ったのでご利益に感謝し元から祀っていた山腹の龍神を天理改現水神白姫大明神と改め山頂に移したとのこと。3分程度山道を歩く。
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天満宮

学問の神。近隣の五字ごあざ神社・五字ごじ神社も知恵の神なので昔からこのあたりは勉学に励むことを重視していたのかもしれない。由緒書きに菅原道真についての記載がある。箕面市の保護樹木ムクノキの大木あり。この辺りは伊勢講が盛んであったためか伊勢神宮遥拝所がある。
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爲那都比古神社(いなつひこじんじゃ)

神社由来碑によると2世紀ごろにあった「爲那国」を統治した爲那氏族の守護神を祀ったものであると伝承されている。明治40年(1907)明治政府による神社統合発布により旧萱野村10ケ村の産土神10社がここに合祀された為、旧萱野村の地域にはほとんど神社が残っていない。大量の狛犬はおそらく各々の神社にあったものではないかと推測する。現住所は石丸になっているが昔は白島の飛び地だった。
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水神宮(みずじんぐう)

龍王神社の近くにあるこじんまりとしたお社。東西坊島如意谷の水利組合奉献の鳥居あり。龍王神社との違いはわからない。お社には龍の文様が描かれている
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龍王神社(りゅうおうじんじゃ)

雨乞いの神様。付近にある水神宮、白姫大明神とも水の神様。この付近は山奥から続く川がない為か溜池が多い。水に苦心していた地域のよう。もとは如意谷の山の上にあったが団地開発の際に現在地へ移転された。
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八幡太神社(はちまんたじんじゃ)

昔から西小路地域の氏神として祀られていた。明治40年(1907)の明治政府による神社統合発布により阿比太神社に別棟合祀されることになったが昭和30年(1955)にここへ戻ってきた。令和元年(2019)4月境内の松をご神木「八幡太松竜」と命名。傍に伸びた松の木をくぐる通り抜けがある。
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正丸稲荷神社(しょうまるいなりじんじゃ)

もともとは稲荷社古墳とよばれる古墳で石室が神殿になっている。古墳の年代は8世紀前後といわれている。稲荷神社は最も古い記録としては享保11年(1726)に見られる。令和最初の日(2019年5月1日)に鳥居が新調された模様。
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屋敷山稲荷(やしきやまいなり)

仏教系のお稲荷様のよう。江戸時代にこのあたりを治めていた麻田藩(青木氏)の代官所・陣屋跡。陣屋の屋敷に祀られていたお稲荷様だったので屋敷山という名前がついているという説がある。
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聖天宮西江寺(しょうてんぐうさいこうじ)

日本で最初に歓喜天を祀った宮。箕面山で修行中であった役行者えんのぎょうじゃの前に老人の姿をした歓喜天が現れ「万民の諸願成就のためここへ鎮座する」と話したという。その対談をしたと伝わる石が境内に残る。歓喜天は像の姿のインドの神様・ガネーシャが起源とされる。かつては摂津国神宮寺と称し平尾(箕面地区)の氏神として信仰が篤い。本尊は役行者作と伝えられる大聖歓喜天(秘仏)。西国七福神の札所として大黒天を祀る。
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牧落八幡大神宮(まきおちはちまんだいじんぐう)

牧落地区の鎮守社。創建は不明。寛文・延宝年間(1661~1680)建立の石燈籠が残っている。明治40年(1907)の神社合祀でも合祀されることはなかった。
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天児屋根命神社(あめのこやねのみことじんじゃ)(瀬川神社)

この辺りは春日大社に寄進された藤原家の荘園であったため昔は「春日神社」と称し藤原氏の氏神をお祀りしていた。後に「王子神社」と称し明治12年(1879)に現在の社名となる。境内には天満宮と八幡宮があり、天満宮は昭和57年(1982)に大阪天満宮から勧請されたもので、八幡宮の傍の「龍ヶ井」はその井戸の底から龍が昇天したという伝承がある。閑静な住宅街にあり運が良ければ境内の木でキツツキのドラミング姿が見られる。
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