『箕面の文化的史跡に親しむ会』主催のみのお遺産ウォークで箕面市北部・止々呂美に行きました。
この日は①薬師堂(豊楽寺跡)、②小畑遺跡、③止々呂美神社、④願生庵と石仏、⑤止々呂美城跡・日枝神社跡、⑥日月大高不動尊の6つのスポットを巡りました。
頂いた資料と箕面市教育委員会の立札の解説に基づいて簡単にご紹介します。
薬師堂(豊楽寺跡)
光明皇后の命で行基が大伽藍を建てたと伝えられており、宝篋印塔は光明皇后の供養塔と伝えられているそうですが確かな資料はないそうです。宝篋印塔には「正平七年」「大日如来」と記されています。
小畑遺跡
鎌倉~室町時代にかけて営まれた墓地を中心とした遺跡。平安時代の遺物も出土したそうです。
止々呂美神社
元は素戔嗚尊神社と言われていましたが明治40年(1907)日枝神社と合祀して現在の名称となります。だんじり祭りがみのお遺産候補としてあげられています。最寄りのバス停は中止々呂美で、止々呂美南のバス停からは1㎞ほど歩きます。
願生庵(釈迦堂)と石仏
願生庵は元は勝尾寺奥の院と称し、勝尾寺の開祖開成皇子の開基で願正寺を呼ばれるようになったそうです。
最寄りのバス停は上止々呂美で、止々呂美南のバス停からは1.5㎞ほど歩きます。
※画像の解説が読みづらいためテキスト化しています。
箕面市指定文化財
逆修衆石仏(ぎゃくしゅしゅうせきぶつ)
上下止々呂美および東能勢の各村に計九点見られ、十六世紀後半の地域性の非常に強い形式を備えた石仏です。三尊多衆形式(本例)と一尊多衆形式が見られます。
本例は、『逆修衆・天正十三年四月廿八日』の銘と、構図に天蓋を備え、本形式発祥を知る上でも、地域文化を知る上でも貴重です。
逆修とは、生前に十三回の自分の弔いあげをすることです。
一石六地蔵(いっせきろくじぞう)
一つの花崗岩に同形同大の六地蔵と簡略な線刻による蓮華座を刻むのは、鎌倉~室町時代の宋朝の石工の流れが見られる石仏です。
六地蔵は、六道をめぐる別々の姿が普通ですが、本例はすべて延命地蔵の姿をしています。
平成八年(一九九六年)二月十九日指定
箕面市教育委員会
止々呂美城跡・日枝神社跡
塩山平右衛門の城砦址と山王社と記されている下止々呂美の鎮守社。
日月大高不動尊
羽根をはやした不動尊像で全国的にも非常に珍しいそうです。天狗信仰によるものかキリシタン大名・高山右近の影響によるものか確かな理由は不明です。止々呂美南のバス停から2㎞ほど歩きます。
おわりに
古い時代に誰かが造ったもの、ずっと同じ場所に存在しているものを見ると「どんな人がどんな想いでこれを造ったのかな」「時代と景色の移り変わりを全部見てきたのかな」などと思いが巡ります。大切に守り後世に伝えていきたいと感じたイベントでした。
自然・歴史・文化・景観など箕面が誇る資産を大切にしていきたいと、「箕面の文化的史跡に親しむ会」は「箕面観光ボランティアガイド」さん「みのお市民まちなみ会議」さんと一緒に『市民が選ぶ「みのお遺産」実行委員会』を立ち上げ、遺産候補としてあげられている75のスポット(※)を巡る「みのお遺産ウォーク」を開催されています。イベント情報はもみじだよりなどで確認することができます。(※2020年11月23日現在)